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ものづくりの源流の旅

自動車、航空機、工作機械、セラミックス…。
日本の製造業のトップメーカーが集積する昇龍道は、まさに「ものづくり王国」。
その特色は、産業分野が多岐にわたること、それらを支える関連産業の裾野が広いこと。
豊富な資源と、日本の真ん中という立地にも恵まれ、地域全体でものづくりを育んできた。
さぁ、日本最強のものづくり王国の源流をたどってみよう!

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「日本六古窯」のうち4つの窯が、昇龍道エリアにある。
愛知県の瀬戸と常滑、福井県の越前、滋賀県の信楽だ。
なぜ、この地域は多くの陶器を生み出してきたのだろうか?

資源

良質な陶土を生んだ古代の巨大湖

日本最大の陶磁器生産地、愛知県と岐阜県。日本一の理由は、陶磁器の原料が採れたから。
約500万年前、付近には「東海湖」と呼ばれる巨大な湖があった。湖には粘土や泥が堆積し、やがてこの地域が良質な陶土の産出地となり、陶器づくりが始まったのだ。

前史

中世日本最大級の陶器産地

6世紀頃、愛知県の猿投窯には数千の窯が築かれ、やがて当時としては日本唯一だった灰釉陶器が誕生。
瀬戸や常滑にも技術が波及して、この地域は日本最大級の陶器生産地となる。越前焼と信楽焼も、12世紀頃に猿投や常滑の技術の影響を受けて生まれている。

発展

茶の湯が開花させた陶器づくり

16世紀には茶の湯が広まる。とともに、中国や欧州製の陶器に触発され、釉薬や焼成の技術に磨きをかけた新しい陶器が誕生。
独特の色合いの「黄瀬戸」。艶やかな「瀬戸黒」。白く厚みのある釉をかけた「志野」。斬新な造形と緑釉の「織部」などが、武将や富裕な町人を魅了した。

発展

苦難の末に生まれた「白い磁器」

1人の貿易商が、1889年のパリ万博で見た美しい磁器を日本で製造しようと会社を設立。1904年、瀬戸に近い名古屋の地に、日本初の近代的な陶磁器量産工場ができた。
原料の配合や成形の試行錯誤を経て、白く硬質な磁器が生まれ、日本初のディナーセットが発売されたのは1914年だった。

現在

21世紀産業をリードするファインセラミックス

磁器製造企業は、やがて衛生陶器やガイシなどの会社を次々と設立。世界的なセラミックスメーカーとして発展を重ねている。
オールドな陶磁器から、21世紀はファインセラミックスの時代へ。昇龍道には多くのメーカーが存在し、環境、医療、電子、バイオテクノロジーなどの新分野を切り拓いているのだ。

水は生命の源。そして、農地を潤し、エネルギーを生み、
ものや人や情報を運ぶ輸送路ともなった。
産業を支えた水の物語を追ってみよう。

資源

ダイナミックな地形を縫って流れる川

3000m級の山々が連なる立山連峰と、県土の7割近くを占める森林。これらが富山県の水の源だ。
雪は春に雪解け水となり、森は雨を落葉の積もる地面に浸みこませる。高低差が激しいため世界有数の急流となった川は、山から平地に出た所に美しい扇状地を形づくっている。

前史

治水技術で水を制御する

急流の川は、ときに氾濫する。水害を防ぐため、15世紀頃から堤防や河川改修の工事が続けられてきた。
江戸時代には川水を引く技術によって新田開発が増えた。明治時代にはオランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケの指導などもあって水利用の技術が進み、水力発電が盛んになった。

発展

水力発電量日本一の富山県

富山県のダムを代表するのは、7年の歳月と延べ1000万人を費やし、世紀の大工事と呼ばれた黒部ダム。
堤高は日本一の186 m、総貯水量は約2億立方mで、石油輸送の超大型タンカー1000隻分に相当する。
水力発電量は年間約10億kWhで、この電力が農業、工業の基盤を支えている。

発展

美味しい魚介、美味しい農産物と水

富山湾の魚介が美味しいのは、森の豊富な栄養分を海に運ぶ多くの川のおかげだといわれている。
また、治水で肥沃になった川の流域で、コシヒカリ米、ジャンボスイカ、チューリップなどさまざまな農産物が育っている。日本酒や味噌、豆腐、最近はミネラルウォーターも特産のひとつだ。

現在

水活用のハイテクノロジーにも注目

水力発電を背景に、紡績、化学、機械など大企業も進出。富山県では、伝統的な医薬品や繊維から樹脂、精密機器等に至る多彩な産業が立地する。
現在は、出荷額が全国1位のアルミサッシをはじめ、ウォータージェットによるカッターや医療用メスなど、水の技術を活かした高度技術も注目されている。

豊かな森林がもたらす木材は、多くの産業の基礎となってきた。
伝統的な器づくりから航空宇宙機器製造に至るまでの
技術史は壮大だ。

資源

良質なヒノキを育てた木曽の気候

長野県の木曽地域には古くからヒノキなど針葉樹の多い天然林があった。寒冷な気候が、年輪が緻密で堅牢な木を育てたのだ。
8世紀頃からは仏像や神社仏閣の建築材として、また武士の時代になると築城の建築材としても重視された。

前史

川伝いに海辺まで運ばれた木材

江戸時代初期の森林乱伐で木曽の木材資源が枯渇しかけた結果、尾張藩は厳しい保護政策を敷く。
保護されたヒノキの美林が育つ一方、藩から住民に支給される御免白木(使用が許可された材木を割って半製品にした材料)を利用して、櫛、笠、下駄、曲物や漆器などの木工が盛んになった。
また、ヒノキなどは丸太で木曽川沿いに流され、中流から筏に組まれて、今の名古屋市に運ばれた。

発展

「からくり人形」から時計市場へ

豊富な木材は、木工技術を発展させた。木の歯車とぜんまいを使う「からくり人形」や、祭を彩る「からくり山車」が、江戸時代から今もこの地域に伝わる。
そして、木箱とぜんまい技術に優れ安価な名古屋の掛時計は、1890年頃には中国、アジアに輸出されていた。

発展

自動車製造のルーツは木製織機にあった

日本最大の自動車メーカーは、1890年の創始者による「豊田式木製人力織機」の発明から始まった。その息子は1936年から乗用車の生産を開始。初期の車は木の模型でデザインを試作していた。
また、1893年に材木商が設立した時計製造会社は、その後精密機器、航空機生産を始めた。

現在

ヒト型ロボットの今後にも期待

工業用に加えてヒト型ロボットが日本で多く製造されているのは、からくり人形からの系譜だ。また、からくり技術は時計から精密機器に発展し、航空宇宙産業につながった。
今、中部地域では航空機部品の5割超を製造。国産のジェット機やロケット製造にも大きな期待がかかっている。

艶やかな絹糸、素朴な木綿糸。
それらを織った布は、人々の生活を温かく豊かなものにした。
その繊維産業の変遷を紐解いてみよう。

資源

繊維を採った麻類、養蚕、綿

福井県の遺跡からは1万年前頃の縄が出土している。原料は麻類だった。
生糸の原料となる養蚕は紀元前3世紀頃に中国から伝わり、全国に広まった。また、綿の種は8世紀頃、崑崙(インド)人の漂着によって愛知県西尾市に伝わったが、気候があわず、根づかなかったという。

前史

世界一の生糸輸出国・日本

江戸時代は中国から大量に生糸を輸入。幕府は養蚕を奨励し、「加賀友禅」など染色の技術も発達した。
明治期には長野などで製糸の工業化が進み、1900年頃に日本が世界一の生糸輸出国になった。最大の輸出先はアメリカ。外貨は設備に投資され、日本の近代化を支えたのだ。

前史

綿の国内生産の興隆と終焉

16世紀頃から綿の栽培が広まり、織物技術も発展。丈夫な木綿布は武士の衣服に使われ、三河や知多で木綿栽培が急増、「伊勢晒」「松阪晒」にもなった。
綿糸の輸出も増えたが、明治中期には機械紡績の原料を海外の安価な綿糸に頼るようになり、国内の綿作農家は姿を消した。

発展

天然繊維から化学繊維へ

1940年頃、アメリカがナイロンストッキングの輸出を開始。綿布もアジア産が市場を席巻し、日本の生糸と綿布の生産は激減した。
一方、人造絹糸と呼ばれたレーヨンの製造は1915年三重県で始まり、間もなく山形県でも本格化。ナイロンは1951年に生産開始され、アクリル繊維の導入も始まった。

現在

繊維の新時代、始まる

今注目の的は産業資材用繊維。特に、鉄に比して比重1/4、強度10倍の「炭素繊維」は、軽くて強くて硬い特性が、航空機、医療、スポーツ分野などに活用される。
炭素繊維に樹脂を浸透させた新製品の製造ラインを石川県に増設したメーカーもあり、旅客機に供給する他、新用途を探る構えだ。

鉄を手に入れることによって、ものづくりは飛躍的に発展し、
人間の生活は変化した。
社会の根幹を支える鉄の歴史を振り返る。

資源

古代から続いた「たたら製鉄」

紀元前3世紀頃の日本に、大陸から稲作と鉄器がほぼ同時に伝来したといわれている。やがて砂鉄と木炭を原料に用いた「たたら製鉄」が始まり、近世まで続いた。
砂鉄は主に近畿から中国地方で採れていたが、昇龍道では琵琶湖北が産出地で、7世紀頃の製鉄遺跡も残っている。

前史

刀鍛冶から鉄砲鍛冶への系譜

刃物産地として知られる関は、13世紀頃からの刀鍛冶の伝統を受け継いでいる。
1543年、種子島にポルトガル船が漂着し、日本に銃を伝えた。銃の製法を最初に学んだのは関から移住した刀鍛冶だといわれ、さらに近江の鉄砲鍛冶に伝わって、武士たちの戦法を劇的に変化させたのだ。

前史

農業とインフラ整備を支えた黒鍬衆

江戸時代、愛知県知多郡大野村には鋤や鍬をつくる職人が多く「大野鍛冶」と呼ばれた。そして、将軍・徳川家康から特別許可を得て、三河や美濃にも出かけて働いた。大野鍛冶がつくった中には刃先が幅広で重さ2㎏以上の大鍬があり、この鍬とこれで土木工事をする人々は共に「黒鍬」と称された。

発展

鍋釜から大砲までの鋳物づくり

高温で溶かした金属を砂などでつくった型に流し込み、冷やし固めた製品が「鋳物」。
江戸時代には三河で鍋や釜の鋳造が盛んになり、船便で運べたため「三州釜」は西日本で有名になった。明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された「韮山の反射炉」でつくっていた大砲も、鋳物製であった。

現在

ものづくりを支える産業用鋼材

愛知県では、1916年に電気炉による特殊鋼生産が始まった。また、1934年には自動織機会社が製鋼部門を設け、自動車製造用の鋼材を開発。やがて製鋼企業として独立した。さらに1964年に設立された製鋼メーカーは、銑鋼一貫製造体制を確立。
これらの鉄が日本の産業を支えている。

未来

注目 中部の最新技術

絶えざるイノベーションを重ねてきた昇龍道のものづくり。
多様化し、高度化した技術で、さらに新しい時代をつくりだそうとしている。


三菱航空機(株)提供

MRJ(Mitsubishi Regional Jet)

国産初の小型ジェット旅客機。優れた運行経済性と環境適合性、さらに客室快適性を兼ね備えた次世代リージョナルジェット機。美しいデザインの機体は海外メディアからも絶賛。

次世代自動車

究極のエコカー「MIRAI」は、水素と酸素を化学反応させる燃料電池を搭載。クリーンで貯蔵性の高い水素は、未来社会を支えるエネルギーだ。また、自動走行システム開発にも拍車がかかっている。


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超電導リニア

車両に搭載した超電導磁石と地上に取り付けられたコイルとの間の磁力によって車両を約10cm浮かし時速500kmの安定走行を実現。2027年の品川-名古屋間開通をめざす。


提供:三菱重工業株式会社

ロケット開発

中部圏は日本の航空宇宙産業の拠点。ロケット開発に必要な技術がすべて集積し、特にエンジン部品の多くはこの地でつくられる。国産ロケットH-ⅡAロケットは打上成功率96.7%と世界最高水準を維持し、定められた日時に打ち上げる「オンタイム成功率」は世界一を誇る。

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